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明けて15日。この日は打ち合わせを見学するように言われ、私は昼頃に編集部へと赴きました。編集部に着くと、ライターの王子さんと編集の田原さんが窓際のテーブルで話しており、こちらへ来るようにと促されました。王子さん、田原さんと世間話をしていると、私と同時期にスタッフになった人間が3人、窓際にやってきました。同時期にスタッフになったとはいえ、まだ名前も知らぬ仲。私たちはとりあえず自己紹介をすることになりました。
石原です。
海老原です。
杉原です。
海老原です。
…驚いたことに、全国的に見てもさほど多くはないと推測される海老原という名前の人が2人もいたのです。そして、全員が苗字に「原」がつく。私は(こんな偶然もあるんだなぁ)と思いつつ、王子さんと田原さんによる打ち合わせを見学し始めました。
打ち合わせというのは、どうやらページの具体的な内容を決める仕事らしく、担当である王子さんと田原さんはページに必要なネタを次々と出していきます。この時打ち合わせをしていた機種はビートザドラゴンで、実戦に行った私にもネタ出しを求められました。私の話が終わると、今度は私の対面に座っていた同期の人もネタ出しを求められました。この時に彼がどんなことを話したか、私は覚えていません。ただ印象的だったのは、言葉の節々に見られる栃木訛りと、くしゃくしゃになったセブンスターのソフトパックでした。
そして夜。打ち合わせは一向に終わる気配がありませんでしたが、私たちは帰宅する許可をもらいました。この頃は打ち合わせといえば徹夜が当然だったのですが、王子さんと田原さんが新人の私たちに気を使ってくれたというわけです。
同期の4人で帰る夜の道。私は栃木訛りの彼となんとなく話し始めたんですが、驚いたことに、彼は今でも栃木から通っているとのこと。「今日も宇都宮まで行ってぇ、そこからまた電車で…」などということを笑いながら話す彼。普通に考えれば、そんなことまでして働きたいとは思わないはず。しかし、彼はそれをまるで苦にしていないかのように明るく話す。この時私は、彼の中にある信念と情熱を感じました。そして(こいつには負けられねぇ)とも思いました。
2000年9月15日の新宿の夜道。この時が、私とエビカツとの出会いでした。
というわけで、小唄ロック☆です。どうもどうも。今日は昨日までの話の続きを書こうかと思っていたんですが、何しろ頭痛がひどくて。開始3日目にして頓挫してしまいました。つーか、気温の変化が激しい時期はどうもダメなんです。幸いにして明日は夕方から野望チャンスなので、それまではしっぽりと部屋にこもることにします。
ところで皆さん、ブラインドタッチって出来ますか? 私はパソコンを使い始めて10年ほどが経つんですが、未だに全然できません。例えば「あるところにおじいさんとおばあさんがいました」という文章を、キーボードを全く見ずに打つと…
あるとこどにおじいさんとおばあさんはいましや
になります。
さらに、キータッチのスピードをアップさせてみると…
あるとkところとにおじいさんとおbなあsなんhがいましtが
になります。
いましtが…って。
それにしても頭が痛い。
それにしてんおあたまがいがい
してんお…。
かような理由により、私はガチガチになりながら左リールにチェリー、中リールにベルとオレンジを目押しし続けました。
すると…両替した1000円札が残り2枚になったところでリーチ目出現。どうすればいいかしのぱち先生に尋ねたところ、とりあえずボーナスを揃えて、BIGだったらBIG中の小役データを採取しろとのこと。ニューパルサーは幅広い層に愛された名機ですが、リプレイハズシはビタ押しが必要で、その難易度は決して低くはありませんでした。当時、私は毎日のように何らかの機種でビタ押ししていたので、ニューパルサーのハズシくらいは楽勝のはずでした。
しかし。やはり緊張していたのでしょう。3回目の小役ゲームになってハズシを実行しようとしたところ、右手が微かに震えているではありませんか。私は一度、深呼吸をし、リールの回転リズムを正確に把握、その後エイヤッと左リールを止めました。ハズシは…何とか成功。今になって思えば、雑誌スタッフとしてやっていくために目押しの上手さはさほど必要なかったと思いますが、この時はとにかく目押しはミスってはならないものだと勝手に思っていました。
その後は大きなトラブルもなく、実戦は無事に終了。5000Gを打ち、結果は25000円程度の負けだったんですが、実戦終了後の私はすっかりヘロヘロでした。毎日毎日、朝から晩までパチスロを打っていた当時の私にとって、5000G打つくらいは朝飯前だと思っていたんですが…正直、この時は「雑誌スタッフの仕事はこんなに大変なのか」と思いました。
追伸。私の隣で打っていたしのぱち先生は、リプレイハズシを…ああ。やはりこの話は伏せておこう。
次回は…私とあいつの出会い。
今日からは私が雑誌スタッフになってからのエピソードを書いていこうと思います。飽き性ゆえ、いつまで続くか分かりませんが…まぁ気楽に読んだってくらはい。
━2000年9月11日。前日に晴れて虎の巻のスタッフになった私は、さっそくデータ採りのメンバーに選ばれました。どんな機種を打つのか、そもそもデータ採りとはどういうことをするのか。何も知らされずにただ「東十条に9時半集合ね」という連絡だけを受け、私はドキドキしながらその時が来るのを待ちました。
そして運命の集合時間。数十分前に東十条に着いていた私の前に、3人の男が姿を現しました。ライターのカトイチさん、同じくライターのホンコン王子さん、編集のしのぱち先生です。当時まだ19歳だった私は元気良く挨拶をし、いざ実戦ホールへ向かうこととなりました。
開店までの時間、お三人は色々と話しかけてくれました。実戦中の注意点、データ採りですべきこと、一般のお客さんに対するマナーなどなど。私は一字一句を聞き漏らさず、全てを頭に叩き込もうと必死になっていたんですが、その時にカトイチさんが一言。「分からないことがあったら聞いてな。…ま、気楽にやればいいから」 その一言でずいぶんと気持ちがラクになったことは、今でもはっきりと覚えてます。
そんなことを話しているとついに開店。一体何を打つのか、ドキドキしながら向かった先にあったのは…ニューパルサー。皆さんご存知の、約20万台も売れた怪物マシンです。が、どうして今さらニューパルサーを打つのか。私はその理由が分かりませんでしたが、そんなことを聞けるわけもなく、私はしのぱち先生に導かれるまま、指定された席に座りました。いよいよ…データ採りが始まります。
次回に続く。