2007年1月31日スタート
(「´゚ω゚)「 アチョ-
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今日はちょいと真面目な内容です。
えーとですね、うちのバァさんは介護施設で世話になっているんですが、数日前に呼び出しを受けまして。「最近、食べることと歩くことが困難になってきているから話し合いたい」という内容でした。
で、本日の午後、自宅から車で20分くらいのところにある施設に赴き、医師も交えて話をしてきました。…本当は親父が行くべきなんでしょうけど、何しろ群馬に単身赴任中のため、私が行くことになったんです。
で、で。医師の話では、「食べることも歩くことも、これからどんどん困難になっていくでしょう。食べることに関しては、もしかしたら内臓に疾患があるかもしれません」とのこと。
「ん~。バァさんも来年で90だし、体にガタがくるのは仕方ないような気がするんですよねぇ」なんて会話をしたところで、医師から2つの道を提示されました。
1つ目は、疾患が見つかったら手術なり何なりの処置をし、食べ物に関しては胃に穴を開けて直接流し込むという方法。この場合は今いる施設から病院に移らなければなりません。
2つ目は、たとえ疾患が見つかっても出来る限り今の生活を変えずに、食べたいものだけを食べ、本能のままに生きられるだけ生きるという方法。出来るだけ詳しく体調を把握するため、体への負担が小さい検査だけは受けてもらいますが、この場合は今の生活を大きく変えることはありません。
提示された2つの道。本来ならば本人の意思を尊重すべきなのでしょうが、認知症が進み、家族の顔すら曖昧になってしまっている今、本人の意思を確認するのは非常に難しいのです。
そして、しばしの沈黙。
私は1つ目よりは2つ目の道の方がいいと思いました。言葉の使い方が適切かどうかは分かりませんが、無理して延命するよりは今を出来るだけ楽しく生きることの方がバァさんは幸せだと思いましたから。
何より、まるで本当の家族のように接している施設のスタッフの皆さんや、かれこれ数年、一緒にいる入居者の方々と一緒に生活することが、本人としては楽しいようですし。それを奪ってまで老いや病と戦うことを強いるなんて、残酷だと思ったんです。
以上のようなことを言おうか言うまいか悩んでいると、隣にいた母親が口を開き、私が思っていることと全く同じ意見を言いました。
私と母親は、2つ目の道を選ぶことにしました。施設から出て親父に連絡をし、意見を聞いてみたところ、親父も同じ意見。バイトから帰ってきた妹も同じ意見。ふらりと仙台にひとり旅立ってしまった弟には、旅から帰ってきてから意見を聞くことになると思うのですが…恐らくは彼も同じ意見でしょう。
◆ ◆ ◆
帰宅してリビングで一服していると、母親がそっと話し始めました。「あれで良かったのかなぁ」
母親も母親で躁鬱病を患っている身ですので、あまり精神的な負担をかけたくなかった私は「バァさんだって今の生活をしたいに決まってる。少なくともオレも親父も妹もそう思ってるんだから、何も間違っちゃいないさ」という言葉を返しました。
でも、私だって本当は分からないっすよ。何が正解かなんて。もし私がバァさんの立場だったら、無理な治療はしたくない。そんなことをするよりも今を楽しく生きていたい。
ただ、それはあくまで私の意見であって、バァさんの意見は分かりません。それでも私は、1つ目ではなく2つ目の道がベストだと思ったんです。
何が正解だったのか。それはきっと、もっとずっと沢山の歳月が流れないと分からないでしょう。もしかしたら一生分からないままかもしれません。
が、決めるしかない。だから私は自分の意見に従った。家族もみんな同じ意見だった(弟にはこれから聞くけど)。それを選んだというよりは、そっちを選ばざるを得なかった。
胃に穴を開けられて、食べ物を流されて、楽しみもなく、ベッドの上でただ生きるだけなんて…それって本当に生きてるって言える?
生きるってことは、自分の意思でメシ食って、ウンコして、笑って、泣いて、笑うってことでしょ。違うの? これって違うの?
風呂上がりに上半身ハダカでパソコンに向かい、キーボードをぶっ叩く。こうすりゃ少しは正解が見えてくると思ったけど。夜空を見れば答えが浮かんでくると思ったけど。本当にこれで良かったのか。
わかんねぇ。
えーとですね、うちのバァさんは介護施設で世話になっているんですが、数日前に呼び出しを受けまして。「最近、食べることと歩くことが困難になってきているから話し合いたい」という内容でした。
で、本日の午後、自宅から車で20分くらいのところにある施設に赴き、医師も交えて話をしてきました。…本当は親父が行くべきなんでしょうけど、何しろ群馬に単身赴任中のため、私が行くことになったんです。
で、で。医師の話では、「食べることも歩くことも、これからどんどん困難になっていくでしょう。食べることに関しては、もしかしたら内臓に疾患があるかもしれません」とのこと。
「ん~。バァさんも来年で90だし、体にガタがくるのは仕方ないような気がするんですよねぇ」なんて会話をしたところで、医師から2つの道を提示されました。
1つ目は、疾患が見つかったら手術なり何なりの処置をし、食べ物に関しては胃に穴を開けて直接流し込むという方法。この場合は今いる施設から病院に移らなければなりません。
2つ目は、たとえ疾患が見つかっても出来る限り今の生活を変えずに、食べたいものだけを食べ、本能のままに生きられるだけ生きるという方法。出来るだけ詳しく体調を把握するため、体への負担が小さい検査だけは受けてもらいますが、この場合は今の生活を大きく変えることはありません。
提示された2つの道。本来ならば本人の意思を尊重すべきなのでしょうが、認知症が進み、家族の顔すら曖昧になってしまっている今、本人の意思を確認するのは非常に難しいのです。
そして、しばしの沈黙。
私は1つ目よりは2つ目の道の方がいいと思いました。言葉の使い方が適切かどうかは分かりませんが、無理して延命するよりは今を出来るだけ楽しく生きることの方がバァさんは幸せだと思いましたから。
何より、まるで本当の家族のように接している施設のスタッフの皆さんや、かれこれ数年、一緒にいる入居者の方々と一緒に生活することが、本人としては楽しいようですし。それを奪ってまで老いや病と戦うことを強いるなんて、残酷だと思ったんです。
以上のようなことを言おうか言うまいか悩んでいると、隣にいた母親が口を開き、私が思っていることと全く同じ意見を言いました。
私と母親は、2つ目の道を選ぶことにしました。施設から出て親父に連絡をし、意見を聞いてみたところ、親父も同じ意見。バイトから帰ってきた妹も同じ意見。ふらりと仙台にひとり旅立ってしまった弟には、旅から帰ってきてから意見を聞くことになると思うのですが…恐らくは彼も同じ意見でしょう。
◆ ◆ ◆
帰宅してリビングで一服していると、母親がそっと話し始めました。「あれで良かったのかなぁ」
母親も母親で躁鬱病を患っている身ですので、あまり精神的な負担をかけたくなかった私は「バァさんだって今の生活をしたいに決まってる。少なくともオレも親父も妹もそう思ってるんだから、何も間違っちゃいないさ」という言葉を返しました。
でも、私だって本当は分からないっすよ。何が正解かなんて。もし私がバァさんの立場だったら、無理な治療はしたくない。そんなことをするよりも今を楽しく生きていたい。
ただ、それはあくまで私の意見であって、バァさんの意見は分かりません。それでも私は、1つ目ではなく2つ目の道がベストだと思ったんです。
何が正解だったのか。それはきっと、もっとずっと沢山の歳月が流れないと分からないでしょう。もしかしたら一生分からないままかもしれません。
が、決めるしかない。だから私は自分の意見に従った。家族もみんな同じ意見だった(弟にはこれから聞くけど)。それを選んだというよりは、そっちを選ばざるを得なかった。
胃に穴を開けられて、食べ物を流されて、楽しみもなく、ベッドの上でただ生きるだけなんて…それって本当に生きてるって言える?
生きるってことは、自分の意思でメシ食って、ウンコして、笑って、泣いて、笑うってことでしょ。違うの? これって違うの?
風呂上がりに上半身ハダカでパソコンに向かい、キーボードをぶっ叩く。こうすりゃ少しは正解が見えてくると思ったけど。夜空を見れば答えが浮かんでくると思ったけど。本当にこれで良かったのか。
わかんねぇ。
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